今日は二丈深江で洋食屋を営む内野一郎(うちの いちろう)さんに、ご自身のお仕事と地元で働く理由を伺いました。厳しい下積み(修行)時代を経て自分のお店を始めた内野さん。料理へのこだわりから経営者としての悩みまで、余すところなく話していただきました。
PART2
『地元以外からお客さんを呼びたい』二丈深江でお店を始めたわけ
学生:お父さんのお店は何だったんですか?
内野:スナック(軽い食事もできる、大人がお酒を楽しむお店)です。スナックのお客さんは年配の方が多いんですけど、商工会(地元の小規模事業者の集まり)青年部(40歳以下の人たちで構成)に入っていたから、その絡みで自分たち世代の人も来てくれてたんです。そこで地元の人と顔合わせ、交流ができて糸島でお店をやれるかなあっていう自信になりましたね。知らない方がいきなり来てお店を始めるにはかなり勇気がいる場所だと思うんですね。
学生:糸島がですか?
内野:そうですね。で、自分もそのころは前原で今のようなお店がしたかったんですが、前原ではちょっと飲食店として集客するのが難しいかなって思って。地元の商売の人のイメージでは前原は夜のまちって感じで。お昼食べるところがない、という声があると思うんですよ。地元以外からお客さんを呼びたいという思いがまずあったから、考え方を変えて当時お店がいくつかしかなかった二丈深江でお店を始めることにしました。
学生:地元以外からお客さんを呼びたいというのはなぜだったんですか?
内野:やっぱり地元の人に愛されるのは一番モットーとしてありますけども、外から注目された方が絶対的なお客さんの数は増えるので。二丈だけでなくて糸島が(観光地として)注目されてるじゃないですか。それをブームじゃなく…
学生:続けていくことですか?
内野:そうですね。観光地的になれば将来良いんじゃないかなっていう思いがあります。ここ(深江)の商店街も、私がちっちゃい時はお店がたくさんあったんですけど。肉屋さんもあったし、魚屋さんもあったし。いま八百屋さんが一軒(けん)そこにあるぐらいで。 街がにぎわいを取り戻していって、また企業が来たいと思うような場所になっていけば、将来的にいいんじゃないかなあ、と思うんですけどね。
『3ヶ月ぐらい休まず働いた』開店時
学生:今のお店を始めるにあたって、宣伝はどうされたんですか?
内野:知り合いにダイレクトメールを送ったり、オープンのチラシを何枚ずつか配ってもらったりして。ほんと口コミだけで。地元でしてたっていうのもあって、父もずっと地元でやってるのがあるからですね、知り合いが多いから、ほんとお店する時はいろんな方からお祝いして頂いて。
学生:そうですね、ネットでのお店の紹介を見ると本当に多くの方から。
内野:お店やってたり、まあ商工会とかのつながりだったり、、、。それが大きかったですね。ただ、お店する時に、そういうお客さんが固定客になるっていうのは頭に入れてなかったです。あくまでもお祝いでっていうのがありましたから。
学生:開店した時、お客さんの入りはどんな感じだったんですか?
内野:2012年の11月末にオープンしたんですが、ペースが良かったのが翌年の4月ぐらいまで。それから、お客さんの入りがだんだん落ちてきたというか。最初オープンして1年半ぐらいまでは広告とかテレビとか断ってたんですよ。(妻と)2人でやってるから限界があるし、あんまり忙しくなると雑誌とかテレビを見てこられた方をがっかりさせるとわかってましたから。仕事にも慣れてきた時「ぐる〜り糸島」というガイドブックの方に声をかけて頂いて、ちょっと載せてみようかと。今年(2014年)の4月に発売されたんです、そこからまたお客さんが増えて安定してきて。
学生:開店した頃はいろいろと大変だったんじゃないですか?
内野:まあ、そうですね。最初は気も抜けないし、抜きどころも分からないから疲れるんですよね。当初は定休日もなく、とりあえず3か月ぐらい休まず。クローズ(ランチタイムとディナータイムの間の営業しない時間帯)もなしに、夜10時まで店を開けてたんですけど、もー、体力的に持たなくなって(笑)。やっと休みを間に入れるようにして、定休日決めて、というリズムができてきて、もう自分たちが疲れないようにうまくお店も回せるような感じになってきましたね。