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今日は二丈深江で洋食屋を営む内野一郎(うちの いちろう)さんに、ご自身のお仕事と地元で働く理由を伺いました。厳しい下積み(修行)時代を経て自分のお店を始めた内野さん。料理へのこだわりから経営者としての悩みまで、余すところなく話していただきました。

PART1

関東のサラリーマン、福岡でイタリア料理の道へ

学生:ここでお店を始めるまでのいきさつを教えてください。

 

内野:釣りとアウトドアが好きというのもあって、大学卒業後、関東の釣り具店で3年間働いていました。その後24歳ぐらいの時に、地元が恋しくなったというのもあるんでしょう、手に職をつけたいと思いはじめてサラリーマンを辞めました。実家が飲食店をしていたので、福岡に戻って飲食店をしようと思ったんです。

 

学生:戻ってからはどうされてたんですか?

 

内野:飲食店の下積みとして2つのお店で働きました。最初のお店は福岡市のイタリアレストランでした。1年ぐらいいましたが、個人店というのもあって、給料は安くて。そのころ深江に住んでいたんですが、月給10万円で、交通費も無しだったんですね。

 

学生:きついお仕事ですね。

 

内野:かなり厳しかったですね、一番貧しかったというか。でも、飲食に入った人はみんな同じかもしれないですが、最終的にはやはり自分の店を持ちたいという人がほとんどで。自分も年が年ですし、なるべく早く実現したという思いがあって職場を変えたんですよ。

 

学生:それが2つ目のお店ですか?

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内野:はい。今は無くなってしまったんですが、二見ヶ浦にあったんです。ちょっとリゾートっぽい感じの建物で庭にプールがあったりして。オーナーが自分でお店を、重機を使って整地したりして、大工さんと一緒に建ててあるんです。家具とかも御自身で作ってありました。4年か5年ぐらい働いていたと思いますね。そこでオーナーにかなり勉強させてもらいました。

 

学生:どんなことを勉強されたんですか?

 

内野:料理を学ぶために働き始めたんですが、もう、何でもさせられました、庭の手入れとかも。ほんと細かいことまで。人間観察とかも(笑)。だから、相当きびしかったですよ。

 

学生:人間観察とは?(笑)

 

内野:普段ぼーっとして気付かないことを、常に、しつこいぐらい言われたんですよ。厨房にいる時でも、砂利を踏む音でお客さんが入ってきたのが分かる、そういう感覚とか。お客さんがお水なりなんなり欲しがっているタイミングを常に見るとか、それも料理をしながら。場所がら冬場暇(ひま)なので、1人でランチとかやるんですよ。お客さんが来たら、お冷(ひや)とかメニューとか持っていってオーダー取りますよね、それから自分で料理をつくって自分でお客さんのところに持っていくんですよ。

 

学生:多忙(たぼう)ですね。

 

内野:だから全部やれる能力が身に着いたという感じで。なかなか、普通の飲食店さんでは無い経験と思うんですよね、料理を作るところからお客さんに食べてもらうところまで、すぐ任せてくれるところって。すごいやりがいがありました。まあその分しごかれましたけど(笑)。密度(みつど)がすごい濃(こ)かったんで、その店のオーナーにはいま一番感謝していますね。その後、父から家業を手伝ってくれないかと言われ、辞めることになりました。

 

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