糸島市深江にあるミツルしょうゆ醸造元(じょうぞうもと)は、しょうゆの製造と販売を行う地元のしょうゆ屋さん。城慶典(じょうよしのり)さんは高校時代に「自社でしょうゆ仕込みを復活させる」という夢を抱(いだ)き、東京の大学に進学。複数のしょうゆ蔵で研修を積みながら、しょうゆづくりについて学びました。そして2013年、自社では40年ぶりに一から作り上げたしょうゆ「生成り(きなり)」が完成。しょうゆ業界でも珍(めずら)しい自社仕込みのしょうゆは、全国的にも注目を集めています。
学生:そういえば、城さんのブログを読んだんですけど、大学時代にしょうゆ蔵で研修をしたそうですね。卒業までに7つのしょうゆ蔵に行ったとか。
城:そうね、学科のカリキュラムで2、3週間しょうゆ蔵での研修があるんだけど、でもそれは3年生の冬に1回だけしかないけん、そういうのを1年のときからいっぱい行きたいなと思って。短い間でもいろんなところに行けたら勉強になると思ってね。
学生:よく知らないんですけど、しょうゆ蔵の方って、だいたいそういう研修を引き受けてくれるんですか?
城:だいたいはね、もちろん断られることもあるけど。しょうゆ屋さんのところに泊めてもらって、食事とか食べさせてもらって。みんないい人やったね。
学生:基本的に泊まり込みなんですね。一番印象に残っている研修(けんしゅう)ってありますか?
城:どこもよかったけどね。あ、一回寝坊(ねぼう)したことがあってね、それが一番やばかった(笑)初日だったし、すごく怒られた。
学生:はは(笑)
城:有名な百貨店とかにしょうゆを置いているような人気のしょうゆ屋さんとかもね、実際にその地元に行ったら、内容的には全然ちがうような、地元向けの安いしょうゆが売ってあって。だから研修でそういうしょうゆ蔵に行くと『えーっ、ここってこういう安いのも作りよっちゃんね』ってね、びっくり。これほどのネームバリューがあってブランド力があるところでも、そういう安いのも作っていかないと、いいしょうゆだけでは経営が成り立たないんだなって思って。そういうのを何件か見たね。
学生:それは実際に行ってみたからこそ分かる気付きですね。その後、大学卒業後の進路はどうやって決めたんですか?
城:…めちゃくちゃ迷ったね。実家の蔵には設備がないし、しょうゆを作り始めるのにはお金がかかる。それを考えると、一度普通(ふつう)に勤めて、ビジネスを勉強するのもいいと思ったし。結局なんか、人に紹介してもらって広島のしょうゆ屋さんに行くことになった。
PART2
人のつながりが増えた。しょうゆ蔵での現場体験。
学生:卒業後、しょうゆ会社で働くことになったのですね。
城:そこのしょうゆ屋さんは小さいけどいろんな商品を作ってて、それを一緒にやれたりしたし、楽しかったよ。広島の離島(りとう)だったけど、草野球したり祭りに出たり、地域の人も仲良くしてくれて、昔からの地域コミュニティのある暮らしも見れて、なんか、いいねぇと感じたね。
学生:いいですね。そこのしょうゆ屋さんとは今も繋がりはあったりしますか?
城:めちゃめちゃあるよ。そうね、うちでしょうゆを始めるときも手伝いにきてくれたし。まっさらな状態から始めたから、いろいろ教えてくれる人が身近にいると心強いね。
学生:そのしょうゆ屋さんで1年間働いて、そこをやめた後、地元に戻ったと…
城:あ、いや、そのあと1年間、東京に行ったんよ。フードコーティネーターの学校にね。ちゃんとした専門学校ではなくて、働いている人が通うビジネススクールみたいなところで。
学生:どうしてその学校に通おうと…?
城:人脈が広がりそうだなと思ってね。学校に限らず、その一年で今に繋がる凄い出会いが沢山あった。そういった人たちとは今もつながってたり、仕事で協力したりしていて。東京の百貨店とかにうちの商品を置いてもらったり、いろいろね、助かってる。人のつながりが増えたのは一番よかったね。
学生:大事な1年だったんですね。ビジネススクールに行ったのは1年間だけですけど、まだ東京に残りたいとかは思いませんでしたか?
城:いや、基本的にはできるだけ早く帰って、しょうゆづくりを始めたかったけんね。仕込みからしょうゆをつくるっていうのも、よくある話なら誰も注目してくれんから、最初に自分がやらんといかんと思ってた。もし誰かがやった後ならそれはもう最悪やん。
学生:なるほど。それで実家のミツルしょうゆに入社して、しょうゆの仕込みを始めたんですね。」