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二丈中学校で現在、ふるさと教育に取り組む、坂本美紀子(みきこ)校長先生。坂本先生の半生と、二丈中学校の生徒たちに対する思いをインタビューではお聞きしました。坂本校長は校長先生になる前にペルーの日本人学校で勤務したり、福吉中学校で「吉井浜思ひ出の歌」を復活させたりと、多くのことにチャレンジしてきました。また、坂本校長は、糸島で初の女性の中学校の校長先生で、現在でも二丈中学校でみなさんにたくさんのことを学んでもらうため、情熱をもって取り組んでいます。坂本先生のお仕事に対する情熱はどこから湧き出てくるのでしょうか、これまでの坂本校長の生き方を通してそのエネルギーの原点に迫りました。

PART3

音「吉井浜思ひ出の歌」の取り組み

学生:帰国後、福吉中学校で、「吉井浜思ひ出の歌」を歌い継ぐ取り組みをしていますが、そのことについてお聞きしたいです。どんな歌だったんですか。

 

坂本:大正12年、大法寺(二丈福井)を宿舎(しゅくしゃ)に、この地で合宿を行っていた旧制佐賀高等学校(現佐賀大学)の水泳部員・吉原正俊(作詞)さんと山口正之(作曲)さんが、吉井浜の美しさと福吉の人々の温かさ・優しさに感動して、その思い出を歌にしたんです。

 

学生:坂本先生はどうしてこの取り組みを行なおうと思ったんですか?

 

坂本:当時の福吉の高齢者にとっては、小学校や若き日にみんなで口ずさんだ「青春の歌」だったんですよ。何十年も歌い継がれている、この歌を地元の歌として次の世代に引き継ぎたいと思いました。それと、2回もレコード化(藤原一郎、ボニージャックス)された、音楽的にも価値のある曲だということがわかったからです。

 

学生:それから福吉中の生徒たちや地域の人たちと一緒になって取り組んだんですね。

 

坂本:生徒たちと一緒に歌のルーツを調べるなど精力的に取り組みました。平成10年11月には復活文化祭を行いました。地域の人たちも応援してくれて、平成12年には、福吉駅前に歌碑が地域の人の手によって建立されました。また、平成16年には、生徒たちの活動を地域が支援する「吉井浜思ひ出の歌」愛する会が発足しました。生徒たちとお金を集めて「吉井浜思ひ出の歌」の歌碑を建立したり、福吉駅でメロディを放送をする活動などもしました。中学校の文化祭でも毎年発表しています。

 

↓写真:文化祭フィナーレ:佐賀大学吹奏楽部の伴奏による「吉井浜思ひ出の歌」大合唱

学生:生徒たちが自分たちで歌碑を建てるためにお金を集めたんですか!!すごいですね。生徒たちはこの取り組みを通して、どういうふうに変わりましたか?

 

坂本:福吉中学校の卒業生は「福吉中学校には、生徒を成長させる引出しがいっぱいある」と言ってました。その子なりに、頑張った引出しがあるんです!!吉井浜の活動をする中で、自分たちが取り組んだ活動の証がずっと福吉中に継承されている。つまり、「自分たちが輝いて活動していた中学時代のそれぞれの思い出が、福吉中学校に戻るとよみがえる、ことがうれしい。」と話していました。

 

↓福吉中学校OBが建てた歌碑

 

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