二丈中学校で現在、ふるさと教育に取り組む、坂本美紀子(みきこ)校長先生。坂本先生の半生と、二丈中学校の生徒たちに対する思いをインタビューではお聞きしました。坂本校長は校長先生になる前にペルーの日本人学校で勤務したり、福吉中学校で「吉井浜思ひ出の歌」を復活させたりと、多くのことにチャレンジしてきました。また、坂本校長は、糸島で初の女性の中学校の校長先生で、現在でも二丈中学校でみなさんにたくさんのことを学んでもらうため、情熱をもって取り組んでいます。坂本先生のお仕事に対する情熱はどこから湧き出てくるのでしょうか、これまでの坂本校長の生き方を通してそのエネルギーの原点に迫りました。
PART1
音楽の先生になるまでの歩み
学生:音楽をしたいなと思ったきっかけはなんですか。
坂本:うちの母親がすごい教育ママで、ピアノを習わせられたのがきっかけです。本当は、英文科に行って海外の新聞記者になりたかったんです。しかし、母から、「これからの女性は手に職をつけないかん。」と言われて音楽科に入ることにしました。
学生:ちなみに、中学校の思い出はなんですか?
坂本:中学校では、体操部に入って一生懸命練習に励みました。休みの日は、友達と地域の磯遊びや、違う区域の友達の家に遊びに行ったり、兎に角、家にじっとはしていませんでした。
↓写真 中央の左(坂本校長の中学生時代)
学生:体操部!!吹奏楽部とかに入ってそうなイメージがありますが、なんか意外ですね!?
坂本:ピアノは習っていましたが、一番得意教科は体育です。体育だけは、高校までずっと5でしたね。
学生:高校も体操部だったんですか?
坂本:大学受験を考えて、英会話サークルとピアノ部に入ってました。しかし、今考えれば、運動部活動に入っておくべきでした。
学生:高校卒業後、音楽大学にいったのは教員になりたかったからですか?
坂本:姉が音楽科に入学するために福岡市の先生宅までピアノを習いに行っていたので、一緒に行かされました。その流れで、母親から「音楽科に行きなさい。」と言われて音大(4年制)を受験し、失敗し、次の年に福岡の短大の音楽科に入りました。
学生:そうだったんですね。
坂本:しかし、4年制大学に行きたかったので、一度失敗していた音楽大学の編入試験を受けて合格しました。編入する際、父親が反対したので、中学校の音楽の先生になるために教育音楽科に入るということで父親を説得しました。
学生:編入後、どこに教育実習に行ったんですか?
坂本:母校の二丈中学校に教育実習に行きました。当時、二丈中は、大変元気の良い生徒ばかりで、私を担当してくれた音楽の先生から、クラスの担任を丸投げされたんです。
学生:それは大変でしたね(汗)
↓写真 当時の思い出を語る坂本校長
坂本:はじめは大変なクラスと思ってましたが、生徒と関わるうちに、生徒たちは、本当はみんな良い子なんだというのがわかりました。こちら(教師)が関わりを深くする(愛情をそそぐ)とどんな子でも応えてくれるということがわかりました。金八先生みたいですけど・・・。
学生:教育実習をきっかけに先生になろうと思ったんですね。
坂本:二丈中学校の教育実習で、先生によって生徒たちがこんなに変わるんだなと、すごい感動があったんで、<絶対に先生になってやる>と思いました。そこで、実習が終わってから4年生の7月まで猛勉強(もうべんきょう)しました。人生で一番勉強しました。
学生:音楽大学を出た後、なぜ小学校の先生になったんですか?
坂本:中学校の音楽の先生の空きがなくて、波多江小学校で2年間、小学校の先生をしました。小学校の先生は中学校の先生と違って一教科を専門的に教えるのではなくて、国語や算数、理科、社会、体育、音楽あらゆる教科を教えるので、教師としての基本を、きちんと学びました。中学校の先生になる前に学んだのが今でも役に立っていて良かったです。その後、福吉中学校に異動し、音楽教師になりました。