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二丈中学校で現在、ふるさと教育に取り組む、坂本美紀子(みきこ)校長先生。坂本先生の半生と、二丈中学校の生徒たちに対する思いをインタビューではお聞きしました。坂本校長は校長先生になる前にペルーの日本人学校で勤務したり、福吉中学校で「吉井浜思ひ出の歌」を復活させたりと、多くのことにチャレンジしてきました。また、坂本校長は、糸島で初の女性の中学校の校長先生で、現在でも二丈中学校でみなさんにたくさんのことを学んでもらうため、情熱をもって取り組んでいます。坂本先生のお仕事に対する情熱はどこから湧き出てくるのでしょうか、これまでの坂本校長の生き方を通してそのエネルギーの原点に迫りました。

PART4

音校長の仕事のやりがい・苦労、これからの目標

学生:校長のお仕事のやりがいはありますか

 

坂本:自分がしたことが、子どもの笑顔や成長として、実感できた時です。

 

学生:苦労された経験とかありますか?

 

坂本:苦労!?私は、あまり、苦労を苦労と思わない性格です。どうせやるなら、楽しくやりたいと思っています。ただ、苦労はありますよ。積極的に行動する分、分ってもらえなかったりもするけど、10年後でもいいから、後で分かってもらえればいいなと思っています。私の好きな幕末の志士たちと同じです。後の世代の人たちが評価してくれればいいです。

 

学生:二丈中学校の校長として地元に戻ってきても福吉中学校と同じような取り組みをしたいと思っていましたか。

 

坂本:地域との連携や地域文化の発掘や継承はやりたいと思いました。福吉中の経験で、生徒たちは、色々な人と関わる中で成長すること、活動の価値を見いだすと経験していたからです。赴任当初は、どこから手を付けようかと迷っていました。

 

学生:どこから変わったんですか

 

坂本:校舎を歩いていると、校舎は変わりましたが、昔の記憶、中学時代の自分がよみがえってきて、懐かしくなりました。生徒たちも同じ「二丈中DNA」をもっていると思うとかわいくて仕方ありませんでした。一番確信したのは、体育祭のエイサーを見てからです。二丈中の後輩たちは、<やるな!>・・・と。えらい(すごく)感動したんですよ。エイサーは文化として生徒たちの間に受け継がれていて、これは素晴らしい取り組だと思ったんですよ。

 

↓エイサーの様子

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学生:他にはありますか

 

坂本:もう一つは旧二丈町の筒井秀来元町長さんたちが作られたこの校舎です。夏休みに校長室の掃除をした時に、10年前に二丈中学校の校舎が立て替わった時にエネルギー校に指定されたという冊子を見つけたんですよ。校舎をどんな想いで立て替えられたのか、この想いを子ども達に是非、知ってもらわねばならないと思ったんですよ。

 

学生:それから、二丈中学校での取り組みがはじまったのですね

 

坂本:その夏休みから、私の学校経営のスイッチが変わったんですよ。21世紀型の学校は地域がキーワードと私は思ってます。地域のおじいちゃん、おばあちゃんから子どもまで、二丈中学校を「おらが学校」と思って、生徒たちに接してもらいたい。それが、安全・安心の学校づくりの基盤だと思っています。本校は、コミュニティースクールですので、子ども達が地域の人と関わりながら、どんな風に育ち、活躍(かつやく)できるかいつも考えているんです。将来、子どもたちが地域に貢献できる人間になってほしいです。

 

学生:二丈中の生徒がこうなって欲しいなと思うのはありますか?

 

坂本:地域を愛し、誇りを持ってもらいたい。それと、国際的に活躍する子を育ててみたいというのもあります。日本や地域を背負って立つじゃないけれど、そういう気概(きがい)をもった子を育てたいですね。

 

学生:先生が目標とする人物像とかありますか?

 

坂本:私は幕末志士の吉田松陰(しょういん)が好きなんですよ。彼の残した言葉に至誠留魂(しせいりゅうこん)という言葉があって、正しい事をしていれば、必ず後を継いでくれる人(わかってくれる人)が現れるという意味なんです。それが私の座右(ざゆう)の銘(めい)で、松下村塾(しょうかそんじゅく)みたいな学校を作りたいというのが私の夢です。日本のためとか、人のためとかに何かをするという志を持った子供を育てたい。それが、校長を志した時の私の思いでした。

 

学生:どうも、ありがとうございました。

<取材をしてみて…>

坂本校長はインタビュー中も、エネルギッシュに、自分のこれまでの経験や取り組みを熱をもって話してくれました。坂本校長のエネルギーは、たくさんの経験を経て、現在のふるさと教育に取り組む覚悟(かくご)がうまれたんだなとわかりました。自分の想いや信念を持って、仕事に励む、そんなカッコいい生きざまを坂本校長のインタビューではお聞きできました。何歳(さい)になってもたくさんの経験や苦労、出会いから多くのことを学ぶことができます。私も、常にチャレンジ精神をもって何事にも取り組んでいこうと思いました。

記者:ふっくい

撮影:みかみん

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