二丈中学校で現在、ふるさと教育に取り組む、坂本美紀子(みきこ)校長先生。坂本先生の半生と、二丈中学校の生徒たちに対する思いをインタビューではお聞きしました。坂本校長は校長先生になる前にペルーの日本人学校で勤務したり、福吉中学校で「吉井浜思ひ出の歌」を復活させたりと、多くのことにチャレンジしてきました。また、坂本校長は、糸島で初の女性の中学校の校長先生で、現在でも二丈中学校でみなさんにたくさんのことを学んでもらうため、情熱をもって取り組んでいます。坂本先生のお仕事に対する情熱はどこから湧き出てくるのでしょうか、これまでの坂本校長の生き方を通してそのエネルギーの原点に迫りました。
PART2
ペルーの日本人学校での経験
学生:30代の後半、ペルーの日本人学校で先生をしていますが、どういう経緯で行くことになったんですか?
坂本:きっかけは心の支えになっていた母が亡くなったことかな。母が亡くなって、「この世で、自分一人になった。」と強く思いました。母が亡くなるまでは、末っ子で甘えていて、何でも母と父にしてもらっていたのですが、母が亡くなって、なぜかしら、自分の人生は自分で切り開かないといけないと強く思ったんですよ。
学生:そういう転機があったんですね。
坂本:友達がね、たまたま日本人学校を受験していたのですよ。私も日本人学校に挑戦することで、自分を変えてみたいと思って受けて、合格しました。
学生:ペルーで3年間、どんな生活を送っていましたか?
坂本:日本人学校では、小学部(3年、1年、1年)の担任と、小・中学部全部の音楽を教えました。
↓写真:現地の子ども達との集合写真
坂本:赴任した当時は、車で町中を走っても、子ども一人見かけませんでした。それだけ、危険な場所だったわけです。私たち教員も、運転手さんをやとって、毎日通勤コースを変えて通勤しました。(同じ通勤コースだと狙われるということ)。2年目になると、まちの中で子ども達を見かけるようになり3年目は、日本と変わりなくなりました。しかし、12月にペルー大使館人質事件が起こり、本当に大変でした。
学生:大変な時期に先生になったんですね。ちなみに、休日は何をしていたんですか?
坂本:休みになると、ペルーやアルゼンチン、ガラパゴスなど南米の色々な場所を旅行しました。ほとんどが一人旅で、この経験も、自分で道は拓けると自信が持てる機会となりました。
↓写真:坂本校長が撮ったペルーの写真
学生:ペルーの日本人学校の経験で先生はどういうふうに変わったんですか。
坂本:まず、積極的になりましたね。それと、「ケセラセラ」の精神が身につきました。これは、スペイン語でどうにかなるさという意味で、失敗してもいいから自分で挑戦してみようっていう風に変わりました。失敗して後悔するより、やってみて後悔したがいいというような生き方に変わりましたね。